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- コネクティング・ザ・ドット 〜点がミライになるまで〜
物語の始まり
それは、2023年の春、友人からの思いがけない一本の電話から始まりました。
電話の主は、マツオカ建機に勤める高校時代の同級生。
ホールディングス化を機に本社を新築したいが、色々と教えてほしいという他愛のない相談でした。
私と彼は、かつて四日市工業高校の建築科で、同じ教室に席を並べ「建築設計競技班(通称コンペ班)」で夏休みを利用して共に図面に向き合った仲です。
卒業後は別々の道に進み、私は独立して設計の道へ。
母校で非常勤講師として後輩たちを指導するようにもなりました。
彼がそれを知っていて、私に声をかけてくれたのでした。
話が進む中で、彼からひとつの魅力的な提案がありました。
「四日市工業のコンペ班の生徒たちに、夢のある本社設計を提案してもらえないだろうか」
次代を担う後輩たちへのバトン
春の気配が漂う中、施主であるマツオカ建機の皆さんと、現役の高校生たちとの顔合わせが行われました。
そこで驚くべき再会がありました。
プロジェクト担当者さんが、四日市工業コンペ班の指導教員と同じ時期に、同じ学び舎に通っていたことが分かったのです。
偶然の糸が重なり、場は一気になごやかな空気に包まれました。
お施主様からの要望は、単なるオフィスビルではありませんでした。
「新しく生まれ変わる会社のイメージを内外に発信したい」
「広い敷地を活かし、地域の方々も集える公園のような場所を作りたい」
「自社製品である『マツオカハウス』を活用した、これまでにない面白い仕組みを考えてほしい」
この大きなテーマを受け、高校生たちの挑戦が始まりました。
彼らは街を歩き、そこに暮らす人々の息遣いを感じ取り、コロナ禍という困難な時期を過ごした若者ならではの視点で、コンセプトを練り上げていきました。
私の役目は、彼らが描いた「一番大切な芯の部分」を、実務の波に飲まれることなく、最後まで守り抜くことでした。
非常勤講師として担当教員と10年以上にわたりタッグを組み、後輩たちを指導し続けてきた積み重ねが、生徒たちの抽象的なアイデアを、力強い建築のロジックへと翻訳する力になりました。
詳細なプランはプロが引き継ぐとしても、彼らの瑞々しい意図を、形にして地図に残してあげたい。
それが、同じ道を通ってきた先輩としての、そして指導者としての私の責任だと強く感じていました。
1ミリの図面から、1キロの街の未来へ
2023年6月。高校生たちによる熱意あるプレゼンテーションは、お施主様の心を動かしました。
そこから本格的な設計が始まり、一進一退を繰り返しながらも、お施主様の「前に進みたい」という強い想いが追い風となり、プロジェクトは着実に進んでいきました。
2024年秋の地鎮祭を経て、2025年、本社に続いて「ミライリスパーク」が完成を迎えました。
この壮大な構想を現実のものとしたのは、現場で腕を振るった職人さんたち一人ひとりの誠実な仕事です。
図面上に引かれた一本の線、高校生が夢見た一つの空間を、確かな技術で積み上げていく。その膨大な「手仕事という点」が積み重なり、この建物は完成しました。
私の設計思想は、職人のための「1ミリの世界」の図面を描くことと、高校生に教えているような「建物が半径1キロの社会にどう貢献するか」を考えることの両立にあります。
この1ミリから1キロを繋ぐ一本の線が、地図の上に「ミライリスパーク」として結実しました。
点が「ミライ」を紡ぐ場所
振り返ってみれば、20数年前の夏休みに同級生とコンペ活動をしていた時に、この物語の最初の「点」は打たれていたのかもしれません。
当時、私たちの指導に来てくださっていた大学生の先輩が、現在のコンペ班担当教員となり高校生たちを導き、私が設計者として建築を手がける。
この長い時間の積み重ねがあったからこそ、この建築は生まれたのだと感じています。
経済性を優先しがちなオフィスという領域で、あえて高校生に夢を託し、地域貢献という公共的な役割を選んでくださったお施主様の決断には感謝しかありません。
この場所で生まれた小さな点が、また次の新しい点に向かっていく。 ここが、そんな「ミライ」を紡ぐ起点となることを願っています。
⇒ 制作実績:高校生と創り上げた地域ひろばとオフィス
